インタビュー⑥

佐々木勇介

20年後に社長になる男

こんにちは、20年後に友乃家で社長になる予定の佐々木です。

もちろんこれは私が勝手に考えているだけで、社内でもみんなには言っていません。
言っても、どうせスルーされるだけですから(笑)

しかし、私の中では本気の本気です。

入社4年目(2021年時点)の社員が、なぜ「この会社の社長になりたい」と考えるようになったのか。
順を追ってお話ししたいと思います。

20代で多額の借金を背負って自己破産

私も福井生まれの秋田育ち。母子家庭だったために大学進学はあきらめて、卒業後は地元で大工になりました。

しかし、高校時代に部活で頑張っていたテニスのことが、どうにも忘れられませんでした。

いまからプレーヤーとして活躍するのは無理かもしれないが、テニススクールの経営者ならなれるのでは……。

そう考えて大工を辞めて、テニスの専門学校にいくことにしました。

入学金や授業料は、自動車の期間工を半年間やって貯めました。

大阪の専門学校でテニス関連の資格を取得した後、東京のテニススクールにコーチとして就職しました。

そこで経験を3年積み、業育委託契約に切り替えて独立しました。

その翌年には社員を雇って合同会社を設立しました。

これで念願の経営者です。

ただ、経営はうまくいきませんでした。

一般の方の指導からジュニアの育成まで幅広く手がけてそれなりに売上はあったのですが、契約で施設側にかなりの額をもっていかれて、手元にはほとんど残りませんでした。

その後に知り合った弁護士や行政書士に「騙されてるよ」と指摘されてはじめて不利な契約であることに気づきましたが、時すでに遅し。

相場を知らなかった自分が甘かったと思います。

結局、施設側とは喧嘩別れになりました。

もともと運転資金として300万円の借入があったところに、違約金として2000万円を請求されました。

これではもう身動きができません。

結果、会社を解散して、自己破産を選びました。

これが27歳のときの話です。

負け続けた自分でも「介護ならできる」と思った

自己破産して再スタートを切った私は、生活のため転職エージェントの会社に就職しました。

しかし、その道も甘くはありませんでした。

転職エージェントは優秀なら年収2000~3000万円稼げる世界です。

実際、同じ20代でそれだけ稼いでいる人もいました。

いざその世界に入ってみると、力量差がありすぎて、自分がその人たちに肩を並べられる気がしなかった。

このままでは稼ぐどころか、精神的に参ってしまう……。

そう感じて2か月で退職しました。

失意の私は、いったん秋田に里帰りをしました。

そこで出合ったのが介護のお仕事です。

実は私の祖母は秋田で小さなデイサービスをやっていました。

スタッフ計3人の本当に小さな施設です。

以前から「手伝ってくれ」と頼まれていましたが、私の中で介護は「汚い、臭い、安い」のイメージ。

「こんな仕事、誰がやるのか」と、ずっとスルーし続けていました。

しかし、帰省したときに覗いてみると、印象が変わりました。

実際に手伝って感じたのは「転職エージェントに比べれば楽だな」ということ。

もちろんそのときは表の一部しか見ていなかったのですが、「これなら自分もできる」と感じて自信がつきました。

そこから介護との長いつきあいが始まるのです。

不正が横行している職場に嫌気

ふたたび上京した私は、埼玉の介護事業者に転職しました。

サ高住とデイサービスを併設している施設系の会社です。

その施設は人員基準を満たしていなかったため、すぐに実務者研修を受けて資格を取得しました。

介護の仕事にはすぐ慣れました。

人が少なく、日勤→夜勤→日勤→夜勤と連続してシフトに入らざるを得ないこともありましたが、テニスで鍛えていたおかげで乗り越えられました。

唯一、引っかかっていたのが不正請求です。

介護サービスの費用の8~9割は介護保険でまかなわれ、その額は事業者が国保連に請求します。

私が勤める施設では、この請求のときに実際にはやっていないサービスを上乗せする不正を行っていたのです。

最初は私も上から「そういうものだ」と教えられて、悪いことだという意識もなく不正請求の書類を書いていました。

途中でおかしいと気づきましたが、不正の書類を上手に書くと上司から褒められて、罪の意識がありつつもやめられなかった。

上司には評価されて給料も上がりましたが、それと比例するように精神的なストレスもたまっていきました。

限界を迎えたのは、昇進して部下ができたときです。

自分が不正を働くのはまだ我慢できましたが、さすがに人に「不正をやれ」とは言えません。

会社に「こういうことはもうやめませんか」と提案をしたこともあります。

しかし、まったく聞き入れてもらえません。

これ以上は耐えられないと思い、この会社は1年で退職しました。

次に転職したのは、医療特化型の有料老人ホームです。

ここはエリアマネージャーとして雇ってくれて待遇もよかったのですが、いざ働き始めてみると、なんとここでも不正請求が……。

この会社は介護に加えて医療でも不正請求をしていて、前の会社以上に悪質でした。

それがわかった時点で、すぐ転職活動を始めました。

服装はチャラいが、嘘はつかない社長

たまたま就職した会社が2社とも不正をする会社だったとは、つくづく自分は運のない男です。

こんどこそまともな会社に勤めたい――。

そんな思いで、転職サイトで次の職場を探し始めたところ、目に留まったのが友乃家でした。

気になった理由は単純です。

会社のホームページを覗いたら、会社の収支管理表が載っていたからです。

売上や利益など決算の数字を公開している一般企業は少なくありません。

しかし、友乃家が公開していたのは、経理担当が普段の仕事で扱うような生の数字でした。

しかも、介護業界でそうした数字を公開している会社は見たことがありません。

「ひょっとしたらクリーンな会社かもしれない」と思って、さっそく応募しました。

面接は社長の三浦が行いました。

三浦が出てきた瞬間、実は応募したことをちょっと後悔しました。

白パンにヴィトンのスカーフ、そして髭という派手ないでたちだったからです。

それまで勤めた2社では、社長はスーツかポロシャツ&チノバンという介護の定番ファッションでした。

それと比べて、なんとチャラチャラしていることか……。

ただ、話を聞いて印象が変わりました。

介護が好きかどうかを問われた私は、正直に「嫌いです。お金のためにやってます」と答えました。

すると三浦は「俺も含めて、みんなお金のためにやってるよ。生活は大事だから」。

クリーンかどうかはまだわかりませんでしたが、少なくてもこの人は裏表がなくて信用できると感じて、転職を決めました。

妻と交わした「5年は頑張る」という約束

友乃家には管理者候補として入社して、蘇我にある訪問介護の事務所の配属になりました。

それまでは施設系の経験しかありませんでしたが、求められるスキルは訪問介護も同じでした。

違うのは、移動中に一人になれることでしょうか。

ずっと人と一緒にいる施設系と比べると、メリハリがあって、むしろ働きやすかったです。

自分では、順調に仕事をやっているつもりでした。

しかし、三浦の評価は違ったようです。

入社して1か月くらい経ったころ、同期3人と面談を受けました。

他の2人には「よくやっている」「頑張れ」と声をかけたのに、私だけは「おまえには万に一つも可能性はない!」と怒鳴られました。

具体的に何で叱られたのか忘れてしまいましたが、いま振り返ってもひどい言葉ですよね(笑)

実際、罵声を浴びて私も心が折れそうになりました。

ただ、二つの理由があって辞めずに踏みとどまりました。

一つは、妻との約束です。

じつは結婚してから、我が家は転職などで引っ越しを6回しています。

ずっと振り回されてきた妻は我慢の限界だったようで、友乃家に就職したときに「こどもは転校させない。5年は千葉で頑張りなさい」と約束させられました。

もう一つは、稼ぎです。

介護業界は、どちらかというと賃金が低い業界です。

しかし、友乃家は社員の待遇改善を経営課題の一つに掲げていて、昇進に応じて給料が上がる仕組みになっていました。

自分も頑張って出世すれば、介護業界でもしっかり稼ぐことができる。

それが心の支えになって、友乃家で頑張り続けることにしました。

人を確保するのに手段は選ばない!

三浦にボロクソに言われながらも、半年後には蘇我事業所の管理者になりました。

「半年で急成長した」と言いたいところですが、実態は違います。

私は本当に生意気で、入社して最初の全体会議で「管理者になります」と宣言。

その後もことあるごとに「管理者をやりたい」とアピールしてきました。

そのわりに中身が伴っていないから怒られていたわけですが、三浦はひとまずやる気を買って管理者に抜擢してくれたのだと思います。

事業所の新規立ち上げに任せてもらえたのも、やる気を買われてものことでしょう。

2018年10月、新たに千葉西事業所を立ち上げました。

この立ち上げでは、物件探しからオフィス家具選びまで、行政への申請以外のことはすべて自分でやりました。

もっとも苦労したのは採用です。

現場はもちろん事務も人が必要でしたが、通常の募集ではぜんぜん集まりませんでした。

仕方がないので、あらゆる手段で人を集めようとしました。

サンドイッチマン(芸人さんじゃないほうです)のように、「僕と一緒に働きましょう」と書いたボードを着て千葉駅のロータリーでララシを配ったり、町で介護の車を見つけたらスカウトのためにドアノブにチラシを挟んだり。

コンビニでそれらしき人を見つけたら、かたっぱしから声をかけたりもしました。

この時期の私は、外から見ると不審者だったと思います(笑)

うまくいっている人の話を聞け

自分では全力でやっていたつもりでしたが、三浦から見るとまだヌルかったようです。

ある日の部門長会議で例のごとく、「まだやれることをやってない!」とコテンパンにやられました。

話を聞くと、三浦や水野は自分の家族を引き込んでまで人手不足をカバーしたのだとか。

言われてみると、自分はまだそこまでやっていなかった。

いつもはフテくされる私も、このときは素直に反省しました。

具体的には、妻に頭を下げました。

妻は美容師として働いていましたが、空いている時間にパートをお願いしたのです。

ありがたいことに妻は協力してくれることになり、さらには自分の友達も誘ってくれました。

新たに2人が入ったことで、なんとか事業所が回るようになりました。

ちなみ妻と妻の友人は、いまも働いてくれています。

千葉西事業所の功労者です。

この経験で、自分も一回り大きくなった気がします。

それまでは三浦や水野にアドバイスされても、「俺のほうがうまくやれる」と自信過剰になっていて、聞き流していたところがありました。

しかし、珍しく素直に言うことを聞いたらうまくいった。

それ以降、うまくいった人の話にはきちんと耳を傾けるようにしています。

友乃家は将来性ある介護ベンチャー

おかげさまで千葉西事業所は1年半で黒字になりました。

そこを評価してもらったのか、いまは千葉西だけでなくエリアマネージャー的な業務も任せてもらえるようになりました。

今後の目標は、最初にも言ったように友乃家の社長になることです。

自分で独立する道もありますが、そうではなく、この会社で社長になりたいと思っています。

友乃家はいろいろな事業に挑戦していて、介護ベンチャーっぽい雰囲気があります。

また、社会貢献や介護業界の待遇改善などを掲げていますが、役職をもらって中枢に近づくにつれ、きれいごとではなく本気で言っていることがわかってきました。

こういう介護事業者は、私の知るかぎり他にありません。

だからこそこの会社で社長になりたいのです。

いまはまだ力が伴っていないことは自分でもよくわかっています。

おそらくこれからも怒鳴られ続けるし、大きな失敗もするでしょう。

ただ、そのたびに自分を成長させて、夢に一歩一歩近づいていきたい。

友乃家は、それができる職場だと思っています。