インタビュー⑦

水野幸代子

普通の主婦でも役員になれた

2回目の登場になる水野です。
前回はたくさん話すぎて、友乃家に入社するまでの話で終わってしまいました。
今回は、その続きです。

(1回目はコチラ

前職の職場から人をスカウト

私が入社したのは平成22年で、最初は白金事業所のサービス提供責任者として働き始めました。

その半年後には管理者になって、白金事業所の売上に責任を持つようになりました。

管理者になってまず苦労したのは、人手不足でしょうか。
人が圧倒的に足りていないのに、社長の三浦は「売上がないのだから求人広告は出せない」とピシャリ。

しかし、人がいなければ売上を伸ばすことはできません。

人が先か、売上か先か――。
考えていても仕方がないので、私は前職の職場から「この人なら」と思う人たちを少しずつ引っ張ってきました。

直接スカウトすれば求人広告代をかけずに人を増やせます。
そうやって引っ張ってきたのが、いま大活躍している建石や椎名、井上です。

彼女たちのおかげで、「売上がないから人を雇えない。人を雇えないから売上が増えない」というジレンマから抜け出すことができました。

学歴がなくても活躍できることを証明したい

私を含めた移籍組には、コンプレックスがありました。

4人とも人に自慢できるような学歴がなかったことです。

介護の現場で、お勉強ができるという意味での頭の良さが問われることはほぼありません。
だから、いままで学歴がないことを恥ずかしく思ったことはなかったのですが、友乃家は少し様子が違いました。

社長の三浦が国立大学を卒業していて、さらに三浦の学生時代の友人TさんとMさん2人が入社して管理者を務めていて(現在は2人とも退職しています)、彼らから頭の悪さをよくからかわれていたのです。

冗談めかして言っていたので、彼らに悪意はなかったのかもしれません。
しかし、「こんなことも知らないの?」と笑われれば誰だって傷つきます。

白金事業所の仲間たちとは、「いつか見返してやろうね」とお互いを励まし合っていました。

とくに私たちがターゲットにしていたのは、Tさんが管理者を務める姉ヶ崎事業所でした。

当時、弊社で売上がもっとも大きかったのが姉ヶ崎事業所です。
そこを追い抜けば、高学歴組も私たちを認めざるを得ないだろうと考えたのです。

とはいえ、頭の回転や知識の多さでは勝てないことはわかっています。
そこで意識したのは、人柄をアピールすることでした。

とにかく第一印象を良くして、ケアマネさんに「この人ならまた会ってもいい」と思ってもらえるような努力を重ねたのです。

きれいごとだけでなく、えげつないこともしましたよ。

あるケアマネさんのところに行ったら、先に姉ヶ崎が訪問していて、机にTさんの名刺が置いてありました。
私はまわりに人がいないことを確認して、Tさんの名刺の上に自分の名刺をそっと重ねて帰りました(笑)

とりかくありとあらゆる手を尽くした結果、私が管理者になって約2年後に売上が姉ヶ崎に並ぶようになりました。

並んだことでみんなも自信をつけたのか、そこからはいい循環が回り始めて、姉ヶ崎を一気に突き放すことができました。

お手洗いの前で仕事する環境から抜け出したい!

このころ、私たちのモチベーションになっていたことがもう一つあります。
事業所の引っ越しです。

当時の白金事業所は狭くて、職員全員に行き渡るほどの机を置けませんでした。

売上が伸びて職員も増えてきた最後のほうは、仕方がないのでトイレの前に椅子だけ置いて仕事をしていました。

そのような環境では集中して仕事することができません。

一方、新しくできた千葉中央事業所は広くてキレイ。

「もっと売上を増やして、私たちもキレイなところに引っ越そうね」
がメンバーの合言葉になっていました。

私もそれがモチベーションになっていて、白金付近で物件が出ると、仕事の合間に見に行ったりしていました。

そうして見つけたのが、現在の本社も兼ねている白金事業所です。

出たときはまだボロボロの状態でしたが、二階建てでとにかく広く、
「早くここに引っ越したい」
と思って頑張ったことを覚えています。

本当は出世したくなかったけど……

新事務所に引っ越す前の平成25年9月、管理者からエリアマネジャーに昇格しました。

三浦から打診を受けたときは驚きました。

実はそれまで友乃家にエリアマネジャーという職位はありませんでした。
三浦は「全体を見るポジションだ」と簡単に説明してくれましたが、具体的に何をやるのかさっぱりわかりません。

仕方がないのでネットで検索してみたものの、やっぱりピンときません。

当時は新事務所への引っ越しが見えてきて、
「管理者として、ようやく自分の城が持てる」
と思っていたタイミングです。

正直、エリアマネジャーに昇格するより、管理者としてもっと頑張りたい気持ちのほうが強かったです。
実際、昇格してからしばらくはモチベーションが下がりっぱなしでした。

管理者は事業所の中心で、みんなから頼られる存在ですが、エリアマネジャーになった途端によそ者扱いになり、みんな冷たくなるのです……。

翌年2月にデイサービスを立ち上げたときも、エリアマネジャーになったことを後悔しました。

新しくオープンした事務所は2階建ての2階でした。
空いている1階がもったいないので、新たにデイサービス事業を立ち上げることになり、私が関わることになったのです。

ただ、こんどはエリアマネジャーの立場であり、現場のことは管理者に任せなくてはいけません。
私は「自分でやったほうが早い」と動いてしまうタイプなので、現場介入を我慢するのが大変でした。

エリアマネジャーの自覚が出てきたのは、グループホーム五井を始めたあたりでしょうか。

グループホームは、社長の三浦が直轄する新規事業でした。
ただ、社長直轄といっても、社長が現場に入るわけにはいきません。

そこで私がグループホームに入って世話人さん業務をやることになりました。

世話人さんのお仕事は、管理者よりもっと現場に近く、入居者のごはんの準備をしたりします。
私はもともとそういうお仕事が大好きです。

ただ、ようやく管理者を指導できるレベルに成長したのに、その力を活かせない仕事に時間を費やしていていいのだろうか……。

そんな疑問が湧いてきて、やっと、
「よし、私はエリアマネジャーとして頑張ろう」
と、エリアマネジャーの役職を前向きにとらえられるようになったのです。

社長がベンツを2台購入した理由

役員になったのは、平成27年の秋です。

三浦は
「職員から役員になる人材を育てたい」
と以前から公言してました。

それを聞いて「誰かがなるなら私かな」という自負は持っていましたが、まだ先の話だと思っていて、心の準備はできていなかった。

三浦から
「役員になると『給料』じゃなくて『報酬』になる」
と言われても意味がわからず、経理の松井に慌てて聞きに行ったくらいです。

エリアマネジャーに昇格したときと同じく、最初はやはり戸惑いのほうが大きかったと思います。
覚悟ができたのは、三浦が社用車としてベンツを2台購入して、その1台に私が乗ることになったときでしょうか。

ベンツで事業所に行くと、当然、職員からは「贅沢だ」と陰口を叩かれます(私も逆の立場なら、絶対にボロクソに言ってます(笑))

最初はそれが悩みでしたが、三浦から
「高級車に乗ってもみんなが納得するくらいの働きをすればいい」
とアドバイスを受けて吹っ切れました。

ベンツは私の身の丈に合いませんが、それなら私のほうが成長してベンツに合わせればいい――。

そう発想を変えたのです。

憧れのマンションを購入。その次の目標は?

実際、役員になってからも日々成長している実感があります。

最初は勉強会でみんなの前に出ると頭が真っ白になるくらいに緊張していましたが、いまはヘタクソなりに落ち着いて話せるようになりました。

社員の日報に
「水野さんが今日話した内容は、こういうことだと思う」
と感想が書いてあったりすると、自分の言葉が届いていることがわかって本当にうれしくなります。

役員になって、ずっと欲しかったマンションを購入することもできました。

昔からの目標でしたが、約10年前に友乃家に入社したときは普通の主婦であり、マンションなんて夢のまた夢だと思っていました。

職員のみなさんにも、欲しいものを我慢しないで手に入れられる人生をぜひ送ってもらいたいと思っています。

もちろん欲しいものはモノでなくてもいいのです。

たとえば女性なら、美容院やエステにいくのもいいですよね。
身だしなみにお金をかけると、見た目はもちろん、気持ちにゆとりができて心もキレイになるというのが私の持論です。

もちろん家族との時間を大事にしてもいいし、どこか旅行に行くのもいいでしょう。
幸せの形は人それぞれですが、いずれにしても
「この会社で頑張れば、人生が豊かになる」
とみなさんに思ってもらえる会社にしたい。

それが私のいまの目標であり、それが実現できるように、自分自身、もっともっと成長を続けたいと思っています。