ウズベキスタンの
サッカー選手が
日本の介護士に

奨学生

ムヒディノフ

メフロジュ

ウズベキスタンのサッカー選手が日本の介護士に

ウズベキスタンにいたとき、よく日本のアニメを見ていました。ナルト、デスノート、ワンピース、ブリーチ・・・。けど、自分が日本に行くなんて考えていなかったです。子どもの頃はサッカー選手になると思っていました。ロコモティブ・サマルカンドというチームから、12歳でパフタコール・タシケントに移籍しました。ウズベキスタンでは一番強いチームですよ(笑)。そこで20歳までサッカーをやっていたのですが、家族の問題や怪我もあり、サッカーに集中できなくなっていった。選手生活を終わらせ、サッカー教室の先生をしていたんです。けど、自分のキャリアを考えたとき、「このままじゃいけない」と思い、日本に勉強しに来ました。

日本語学校で進路を相談しているとき、友乃家のことを紹介されました。最初は「介護」という仕事がよく分からなかったけど、インターンシップに参加して、この仕事にすごく興味が出ました。祖父母は私が生まれる前に亡くなったから、お世話ができなかった。だから今、日本でおじいちゃん、おばあちゃんと接するのがすごく楽しいです。先生の仕事をしていた話とか、お相撲さんだった話とか・・・。全部インターネットにはない情報です。ゲームをするより、ドラマを見るより、良い時間の使い方をしていると思ってます。

お金とか、高いビルとか、人生はそれが一番大切じゃない。お年寄りは不自由なことがあるけど、自分達は少し頑張ったら何でもできる。ウズベキスタンには、子どもが大人になったら、祖父母を助ける文化がある。それを仕事にしながら、良い方向に進みたい。友乃家のおかげで、専門学校の試験も無料で受けられた。支援を受けて、デイサービスで働きながら、勉強もできる。この会社には、今後ウズベキスタン人もたくさん来ると聞いています。その人達の目標になりたいですね。人生で一番大切なことが、この仕事にはあると思います。